◇9月ゲストコラム◇
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働き方を再構築する
〜現場と在宅のあいだで見えた真実〜
Y・Sさん@フリーランス技術者
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今週のゲストコラムは…
20年以上にわたり、土木・建設業界で現場の第一線を担ってきたY・Sさんが登場✨
高校卒業後すぐに建設系企業に入社。水井戸や温泉ボーリングなどの工事助手、防災点検の現場対応、土質試験室での調査・報告業務など、幅広い業務に従事。
年間100件超の現場対応をこなし、報告書作成・見積・請求・新人指導まで一手に担い、部署売上の半分以上を支える存在に。
2023年に退職後は、フリーランスとして独立。これまでの経験を活かし、土木会社・建設会社の現場施工用試験業務を継続しながら、在宅でのテレアポ業務なども請け負う“二刀流スタイル”で新しい働き方を実践中💡
今回のコラムでは、
・電話対応の質から見える企業の本質
・人間関係の恐ろしさと働き方改革の影
・言いなりで動く危うさと責任ある判断の重要性
・飲み会文化から解放されて得た自由
・在宅勤務という新しい選択肢
といったテーマを、ご自身の体験をもとにコラムにしていただきました✨
同じ個人事業主だからこそ共感でき、リアルな学びと気づき気づきが詰まった5日間の連載です✨
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#1 電話対応の質が 企業の「顔」を作る
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副業でテレフォンアポインターを始めてから、多くの企業に架電する⽇々が続いています。
架電先では、今まで聞いたことはあっても触れたことのなかった専⾨⽤語が⾶び交う場⾯も多く、業務を通じて学びが多いです。しかし、⼀⽇に70〜80件、多い⽇には90件以上かける中で最も印象に残るのは、受付や担当者に接触した際の「電話対応の質」です。
有名企業だからと⾔って対応が良いわけではありません。中⼩企業だから対応が雑ということもありません。
むしろ、以前私が勤めていた中⼩企業の⼯事関係の会社では、電話対応の重要性を新⼈研修で徹底的に教え込まれ、誰が出ても変わらない丁寧な対応が社内の当たり前でした。
業務に対して教育熱⼼な反⾯、社内での⼈間関係は残念でしたが・・・苦笑。
ただ、その経験があるからこそ、今のテレアポ業務で感じるギャップに驚くことが多いです。
丁寧に挨拶を返し、聞き取りやすい声で要件を確認し、断る際も「申し訳ありません、現在検討しておりません。」などと静かに⾔い切り、電話を切る際も「失礼いたします。」と最後まで誠実に対応してくれる企業もあります。
⼀⽅で、こちらの「お世話になっております。」という挨拶に無⾔で返し、ため⼝や横柄な態度で「いらないから!」「今、忙しいんだよ!」「⼆度とかけてこないで!」とぶっきらぼうに切られることや、同じ台詞でも怒号に近い声のトーンを浴びせられることさえあります。
そうした企業の中には名の知れた⼤⼿も含まれており、正直⾔って「有名企業の教育体制はどうなっているのか」と疑いたくなります。
テレアポは⽴場的に弱いことは理解していますし、営業電話を歓迎する企業は少ないです。
しかし、断り⽅ひとつで印象は⼤きく変わり、少ないながらも今後の業務に⼤きな役割やチャンスが巡ってこないとも限りません。
「丁寧な対応を受けた企業は、今後⾃分が顧客側になったときに相談してみたい。」と思えますし、「雑な対応を受けた企業には関わりたくない。」と無意識に記憶に刻まれます。
有名企業でも倒産する時代において、モラルの低下は衰退の兆候の⼀つとも⾔えます。
受付や電話⼝でのたった数分の応対で企業イメージが決まることをもっと多くの⼈が⾃覚すべきだと思います。
お互いに顔の⾒えない電話だからこそ、声と態度で「信頼できる会社か否か」が判断されます。
⽇々のテレアポ業務で多くの企業と接する中、電話対応ができない⼤⼈が多い現実は嘆かわしく、同時に「⾃分⾃⾝はどうあるべきか」を考えさせられる⽇々です。
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#2 ⼈間関係の恐ろしさ
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今年の夏も全国的に暑かったですね。
暑い時期には、オカルト系のバラエティー番組の特番などで、⾝の⽑もよだつ恐ろしい話で背筋が寒くなり、猛暑を乗り切る傾向がありますが、私⾃⾝は、本当に恐ろしいのは会社での⼈間関係だったと思います。
私が⾼校を卒業し、⼊社した会社は中⼩企業の⼯事関係の企業でした。よく「昭和世代は」と嫌みを交えた話を聞きますが、実際にも職⼈気質や体育会系の上司・先輩によるパワハラや嫌がらせが⽇常的で、気に⼊らなければ理不尽な説教が数時間続いたり、場合によっては暴⼒を受けることもありました。
⼯具でヘルメットの上から叩かれたり、胸ぐらをつかまれ、壁に投げつけられたり、怒鳴られながら顔⾯を殴られたり、⾜を蹴られることもありました。そんなことがあって、上司に相談しても「社会は厳しいものだ」と諦めるしかなかったのが現実です。
もちろん、しっかりしたモラルを持つ上司や先輩もいて、業務で危険な⾏為をした時や重⼤なミスをした時には厳しく叱ってくれました。その叱責は理不尽さがなく、むしろ⾃分の弱点や経験の浅さと向き合う機会となり、感謝の気持ちすら持てるものでした。
しかし、理不尽な説教や⼋つ当たりの怒鳴り声は、仕事を学ぶ場を「恐怖で⽀配される場」に変えていました。
仲良くなった同僚との関係を邪魔され、何年も⼝を聞かなくなったり、喧嘩ばかりするような関係に変えられた同僚もいました。負けず嫌いな⾃分は、理不尽な上司とも⼝だけでなく、殴られないように体を鍛えました。
⾼校時代は⽂化部だったのに、企業に就職した2〜3年後には、握⼒80kgくらい、背筋400kg以上にまで成⻑し、【化け物】や【⻤】といったあだ名までつきました。笑
時代の流れで【働き⽅改⾰】などの制度が動き出し、⽬に⾒える暴⼒や怒号は通報されるようになり、私が勤めていた企業でもパワハラの当事者が⾃主退職するなど、表⾯上は穏やかになったように⾒えました。
しかし、職⼈気質や体育会系の強引な態度の上司や先輩が減っていき、平成⽣まれの新⼈が⼊社し始めた時期に、今度は真逆の「インテリ系の恐ろしい上司」が⽬⽴ち始めました。
表⾯上は物腰が柔らかく、⾔葉遣いも丁寧なその上司は、パソコン業務中に経営者には⾒えないように動画を観たり、オンラインゲームをしたりしていました。部署内の売上げ⽬標値が年々減少していても、経営者には部下の責任だといいわけし、楽な業務は率先し、厳しい業務は部下任せで⾃分は動かず、⼿柄だけは奪うタイプでした。
部下に仕事を押しつけるだけでなく、監視体制を強めていました。私が辞めるきっかけとなったのは、担当している厳しい業務でも後輩・部下を付けてもらえず、ひとりで業務をこなしていたこと、そして私が使⽤していた社⽤⾞に設置されたドラレコの録画・録⾳機能を使い、現場から帰社後に私が乗っていた⾞からSDカードを抜き取り、別室で⼀⼈で内容をチェックしていたことでした。
⾃分は業務も⾏わず、こっそりと監視し、失⾔や愚痴を探し出しては「お前はこう⾔っていただろう」と陰湿に責める。その姿は恐怖で周囲を⽀配し、昭和の体育会系パワハラよりも陰湿で狂気じみていました。
部下や後輩も、その上司の顔⾊をうかがい、⾔いなりになっていく姿を⾒て「ここはオカルトの世界より怖い場所だ」と思ったことを覚えています。
幽霊や怪談よりも、私たちの⽇常の中で息を潜めて近づき、笑顔で寄り添ったフリをして⽀配してくる「恐ろしい上司」の存在。会社に相談しても改善どころか⾝に覚えの無い罪を着せられる企業と、嫌がらせの上司・なにもできない同僚や部下の⼈間関係に嫌気がさし、独⽴を決意しました。
私にとって、⼈間関係は何よりも背筋が凍る恐怖でしたが、皆さんの企業や体験はどうでしたか。
似たような体験を理由に辞めた⽅がいらっしゃったら、もしかしたら恐怖の元凶が巣くうサインかもしれませんよ。
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#3 “⾔いなり世代(私の造語)”と無責任な依頼者
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皆さんの業界には、どのような依頼者や会社の仲間がいますか?
私の携わる⼯事業界では、設計された基準値や法的な制約が明確に定められており、それを遵守することが、安全と品質を守る最低条件です。しかし現実には、その「最低条件」を軽視した、後先を考えない依頼や要求がまれに存在します。
後先を考えず、感覚やノリで⾏動するのは、なにも若い世代だけではなく、ベテランと呼ばれる世代にも⾒られます。
たとえば、ある⾏政の担当者との打合せの場⾯を思い出します。彼は、多くの資格を持ち、多くの現場を担当し、⾼い⽴場の⽅で赴任してきました。
しかし、その年の業務を任されたにもかかわらず、私と私の依頼者である⼯事業者との打合せで、設計基準を無視した内容をこちらに求めながら、⽬を輝かせてこう⾔ったのです──「私とともに歴史を作りましょう!」。
聞いた瞬間、私と⼯事業者の担当者は、寒気を感じ、開いた⼝がふさがりませんでした。そもそも基準以下での施⼯は、安全性を損なうばかりか、後にニュースとして全国に報道されたり、訴訟問題にまで発展するリスクをはらんでいます。しかもこうした要求をする⾏政の担当者たちは、責任を取る気配など微塵もなく、前年の担当者が判断ミスをし、次の年には担当が変わり、⼯事業者や測定業者に責任を追及し、指⽰を出した前年の責任者は、近くにいても知らんぷりをするケースも少なくありませんでした。
こうした「無責任な依頼者」だけでなく、内部にも問題はあります。私が以前勤めていた会社では、⾏政からの無茶な要望に対し、簡単に折れてしまう上司がいました。明らかに基準値を下回る設計変更であっても、「役所の指⽰だから仕⽅ない」と⾔って、現場にそのまま降ろしてしまうのです。
現場の苦労やリスクを考えず、上から⾔われたことに唯々諾々と従う姿勢──私なりの造語ですが、これがまさに“⾔いなり世代”の典型だと感じました。
私は、第三者機関の⽴場として、⾏政や上司の顔⾊をうかがうよりも、現場の安全と信頼を第⼀に考えるべきだという信念でやってきました。例え“頑固”だと⾔われようとも、無責任な要求を受け⼊れることで起こるトラブルの種を未然に防ぐことこそが、プロの仕事だと思っています。
依頼者の無知や組織内の無責任体質が、現場にどれほどの歪みをもたらすかを、もっと多くの⼈に知ってほしいです。⼯事業界に限らず、どんな業界でも「誰かが責任を取るだろう」という考えがはびこる組織は、いずれ深刻な問題に直⾯します。
そうならないためにも、現場の⼀⼈ひとりが責任を⾃覚し、正しい判断を下す強さを持たなければならないのです。
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#4「飲みニケーション」の弱体化で得た⾃由
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皆さんは「会社の飲み会」が好きですか?
私はお酒は飲めるほうですが、会社の飲み会は昔から苦⼿でした。理由は明確で、楽しさよりも苦痛が勝っていたからです。
特に前職では、忘年会か新年会のどちらかの時期に、泊まりがけの飲み会がありました。給与も決して⾼くない中で、何より⽬的は“社⻑のご機嫌取り”でした。そんな飲み会で上司から浴びせられるのは、パワハラ・モラハラのオンパレードでした。酒の勢いでの説教、暴⾔……。仕事を離れても気を抜けない空間に、⼼がどんどんすり減っていきました。
こんなエピソードもあります。10年位前、その年は定年退職したOBも呼んでの忘年会でした。普段からお世話になっている社⻑に皆からお⾦を出し合って、サプライズで感謝のプレゼントをすることになりました。
当⽇、社⻑にプレゼントを渡すプログラムの際、【○○さん!⼤丈夫!!?しっかりして!!!】と⼥⼦社員が叫んでいました。
私とは離れた席に座っていた、OBのひとりが⼝から泡を吹き、意識を失っていたのです。しかし、その時は、社⻑へのプレゼントを渡す時間、救急⾞を誰も呼ばず、プレゼントをもらって涙する社⻑に拍⼿するその時間に、人命よりもイベントを重視する姿勢に、私は恐怖しました。勿論、状況や近くに座っていなかったとはいえ、私⾃⾝も救急⾞を呼ばなかったことは、同じ罪であると後悔しています。
また、飲み会ではやたらと仲良く振る舞うのに、翌⽇の業務になると⼿のひらを返したように冷たくなる⼈たちもいました。あの時の笑顔は何だったのか。そう思うたびに、私はますます飲み会の意義を疑うようになりました。
そんな私にとって、コロナ禍は“ある意味で”救いでもありました。もちろん、多くの命が失われた恐ろしいウイルスであったことに変わりはありませんが、それでも社会のあらゆる「当たり前」が⾒直された中で、私が最もホッとしたのは、「飲みニケーションの停⽌」でした。
会社の飲み会が⼀切無くなったあの期間、私は本当に気持ちが楽になりました。⼤事な家族との時間を過ごし、⼟⽇は疲れた⼼⾝を整えるために使えるようになったのです。強制参加の飲み会が無くなっても、仕事の⽣産性に⽀障はなく、むしろ⼈間関係も“必要な距離感”が保てるようになり、ストレスは⼤幅に減りました。
私は、「酒は⼼許せる⼈と飲むもの」だと思っています。肩書きも利害関係も気にせず、⼼からリラックスして笑える空間──それが本来の「飲み会」ではないでしょうか。職場の延⻑線上にある上下関係や忖度、付き合いの強要がセットになった“飲みニケーション”に、本当の意味でのコミュニケーションがあるとは思えません。
現在はコロナの影響も落ち着きつつありますが、私はかつてのような飲み会⽂化には戻ってほしくありません。あの時期に気づけた「無くても困らないもの」は、私たちの働き⽅や⼈間関係をより健全にするためのヒントだったと思います。
飲み会が完全に悪いわけではありません。しかし、楽しくない飲み会は、誰にとっても時間と⼼の無駄です。これからは、“⾃由参加で、⼼許せる⼈と、笑って終われる飲み会”だけで⼗分です。それが、私の理想です。
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#5 在宅勤務の楽しさと、心の自由
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私の他のコラムを読んでくださっている方は、すでに察しているかもしれませんが、私は前職で非常に冷遇されていました。パワハラや陰湿な嫌がらせの数々、業務の押しつけや仲が良くなった同僚との仲違いなど、学生時代のカーストによる嫌がらせをいい大人が未だにやっているくだらなさに心がすり減り、このままでは自分が壊れてしまうと思い、ついに独立を決意しました。
独立後の今、私は在宅勤務を基本としながら、必要に応じて工事現場に出向き、施工基準値の測定を行い、また自宅に戻ってデータの作成をしています。さらに、工事関連の仕事が無いときには、契約しているテレフォンアポインター業務の営業補助も担っています。こちらも自宅から、パソコンとネット環境、必要な周辺機器、そして専用アプリを使って行っています。
この働き方には、数えきれないほどの“楽しさ”と“安らぎ”があります。まず何より、自分の時間と空間を自分のペースで管理できることです。出勤ラッシュに揉まれることもなければ、オフィスの空気や周囲の視線に神経をすり減らすこともありません。心身ともに余裕ができた分、仕事に対して前向きに向き合えるようになった実感があります。
そしてもう一つ大きな変化は、「人間関係のストレスから解放されたこと」です。在宅勤務での業務は、成果が全てです。以前のように、経営者や上司、先輩に“気に入られているかどうか”で評価が左右されることはありません。陰口や根回し、理不尽な上下関係に振り回されることもなく、ただ誠実に仕事をこなし、結果を出せばそれで評価される──そのシンプルさが、何よりも心を軽くしてくれます。
もちろん、全てが楽なわけではありません。テレフォンアポインター業務では、理不尽な対応をされることもありますし、思うように結果が出ず、落ち込むこともあります。それでも、心には“ゆとり”があります。自宅という安心できる環境で、自分のペースでリセットできる時間がある。それだけで、次の一歩を踏み出す力になります。
「仕事は現場に出ないとダメ」「人と直接会わないとコミュニケーションが取れない」といった固定観念は、今や過去のものとなりつつあります。在宅勤務は単なる働き方の一つではなく、自分らしく働き、心身を守る手段として、多くの人にとっての希望にもなり得るのではないでしょうか。
前職で味わった数々の苦しみを経て、今の私は、ようやく「働くことは苦行ではない」と思えるようになりました。在宅勤務という選択肢が、私の人生を豊かにしてくれたのです。