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ことばの先生が語る
「伝える力」と「生きる力」
よしひ @ 日本語講師
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今週のゲストコラムは初登場✨
“よしひ”さんにご担当いただきます!
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🧳 どんな人?
大学卒業後に海外留学を経験。
帰国後は英語講師としてスタートし、現在は日本語学校で外国の方に日本語を教える。
その一方で、株式投資歴はなんと20年💰
“言葉を教えるプロ”であり、“自分の働き方も考え抜く実践者”でもあります。
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✍️今回のコラムは…
・英語教師から日本語教師へ──その転機と理由
・多言語が飛び交う教室での“伝え方の工夫”とは?
・学ぶことの難しさ・教えることの繊細さをどう乗り越えるか
・株式投資という「もうひとつの選択肢」を持つ意味
・そして、日本語教育制度の変化とこれから
そんな5つのテーマを軸に、“ことば”と“人生”のつながりを、
ご自身の体験と視点からリアルに綴っていただきました。
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👀こんな方におすすめ✨
・人に「伝える」仕事(接客/指導/制作/提案 など)をしている方
・働き方やキャリアに“もう一つの選択肢”を持ちたい方
・ことば・教育・学びに関わるすべての方
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📗読むだけで、「ことば」と「自分」を見つめ直すきっかけになるコラム。
初回配信は…本日19時!
どうぞお楽しみに👏✨
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#1転職のきっかけ〜英語の先生から日本語の先生へ
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「日本にやってきた外国の人に日本語を教える」という、パートタイムの日本語講師となって1か月が経ちました。
3月までは「いろいろな世代の日本人に英語を教える」のが仕事だったので、言葉を教える、という枠組みは同じだとしても、ベクトルがひっくり返ったような、そんな感覚を抱いています。
11年働いた職場を変えたのは、自分自身の問題というよりも、「家庭の都合」からでした。
正月、実家に帰省した時に、2人暮らしの両親が想像以上に弱っているのを目にして、普段の生活にもっと関わっていく必要があると痛感したからです。
妻もその様子は一緒に見ていましたから、私がこの話を切り出した時も快く賛成してくれました。
ただし、そうなると働き方を変えざるをえません。今までのように平日フルで働くのではなく、1日単位、時間単位で勤務できるような……。
こうした事情が、私が職場を変えた一番の理由です。でもそれだけだったら、フルからパートの英語の先生になれば、それでよかったはずです。
私は今まで、英語以外にも10ほどのいろいろな言語を学んできました。そうした学びの中で痛感したのは「母語の大切さ」です。
言葉を学ぶ力。そして言葉を通じて自分を表現する力。その核になるのは、何よりも母語の言語能力です。
もう一度、自分の日本語をきちんと見つめ、考えなおしたい。いろいろな言語を旅した後で、たどり着いた心境でした。
そのためには「誰かに日本語を教える」経験が役に立つのではないか……そう考えたのです。
昨年は英語の仕事をしながら、独学で日本語教育能力検定試験の準備をし、幸運にも合格することができました。ただその時は、こんなに早く日本語講師の仕事を始めるとは思っていなかったので、両親のことも含めて、今年は人生の上での大きな節目だったのかな、と今は思っています。
教室に入ったら「こんにちは。」
プリントを配る時には「はい、どうぞ。」
……日常生活の中で、私たちが話しているごく普通の日本語です。
でもその一言一言が、そこにいる外国の人たちにとってはモデルとなります。
なぜその場面ではその表現なのか。
文法的にはどう説明できるのか。
自分たちのごく普通の会話が、途方もない試行錯誤と経験の上に成り立っていることを、改めて実感させられる瞬間です。
今まで私は、外国語を通じて、言葉の奥深さを体験してきました。では、それが日本語だったら?
新しい言葉の旅は、始まったばかりなのです。
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#2 学ぶ難しさ、教える難しさ
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私はこれまでに、英語を含めて10ほどの言語を学んできました。楽に学べる外国語などひとつもないので、苦労した経験は数えきれないほどありますし、外国語学習の難しさはよく知っています。
そうした苦労は、教える立場になった時に役に立ちます。どこで、なぜ間違いやすいのか、大まかな傾向をつかむことができるからです。ただあくまでこれは、「日本人がその言語を学ぶ際のありがちなつまづき」であって、母語と学習する言語の組み合わせによって、間違いやすいポイントは変わってきます。
今働いている職場では、中国、カンボジア、ベトナム、インドネシアからやってきた方たちに日本語を教えています。日本語のレベルは、おおむね初級と言ってよいでしょう。段階的には、難しい文法よりも、日常生活でよく使う語彙や表現などを学ぶのが適切な時期です。
教える側の方針にもよりますが、例えば誕生日や好きな色などをテーマに、お互いにインタビューをしてもらうといった、教室内での移動と、生徒同士の会話をともなう授業を心がけています。前職では、小学校で行われている外国語活動、つまり日本人の小学生に英語を教える授業にもたびたび関わっていたので、現在、私が考えている授業の組み立て方は、そのアプローチにかなり影響を受けていると思います。
そうした活動には、私も加わります。一対一での会話を通して、いろいろな間違いに直接気づくことができるからです。助詞(「を」や「に」)の脱落や、不正確な発音など。原因が、文法知識の定着不足なのか、母語の影響(専門的には「言語転移」と呼びます。例えば日本人が一般に英語のLとRの区別が苦手なのは、転移によるものです)なのか、区別して考える必要があります。
この仕事に就いてまだ2か月程度ですし、生徒さんたちの母語も4通りありますから、いろいろなつまづきの傾向を掴もうとしている真っ最中です。特に転移については、元の言語の知識が必要になるので、私自身、年単位で少しずつ学んでいこうと考えています。
「正確な日本語」を基準とし、またその運用や習得を目標として授業は行うものですが、厳密に指摘しすぎると学習意欲をそぎかねないですし、一方で全く訂正しないのであれば、日本での生活で今後、困ることが出てくるかもしれません。外国語学習と海外生活の苦労は私自身も知っているだけに、そのあたりの匙加減はなかなか難しいところがあります。
学ぶことの難しさ。そして、教えることの難しさ。授業は、私と生徒さんがそれぞれの立場で実感する、そんな時間です。
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#3 多言語に対応する〜ツールの活用〜
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日本では「グローバル化」という言葉と、ほぼ毎回セットになって出てくる言語は英語ですが、前々からこの図式には疑問を抱いていました。
確かに、リンガ・フランカ(共通語)として便利な言語であるのは間違いありません。特にインターネット上のさまざまなコンテンツやツールでは、その存在は圧倒的です。しかし、当たり前の話ですが、外国語とは英語だけではありませんし、いつでも通用するとは限りません。
私が教える相手は、日本語教育を一定期間受けた後、技能実習生として各地に散らばっていく方たちです。中国。カンボジア。ベトナム。インドネシア。英語を母語とする人は皆無な上に、英語が理解できるのは、よくても1/3くらいでしょう。英語以外で私が学んだ10近くの言語はヨーロッパが中心で、アジアの言葉の学習経験はほぼ皆無です。
英語で多少は説明することも可能なのではないか……最初はそういう期待もあったのですが、現在でも、教室で英語を使う機会はほとんどありません。そしてもうひとつ難しいのは、日本語もきちんと通じるわけではない、ということです。
意思の疎通にこうした大きなハンディがある中で、少しでもわかりやすい授業をするにはどうすればよいか。最初に工夫したのは、授業で出てくる重要な語彙にはイラストを必ず添えることでした。視覚に訴える掲示物は、外国語学習において学習者の理解を大きく助けるからです。
次に取り組んだのは、配布物を日本語プラス4言語(中国語、クメール語、ベトナム語、インドネシア語)で表記することでした。オンラインの翻訳ツールをいくつか活用し、複数の言語間でできる限りクロスチェックを行いながら、それぞれの言語で文章を作成していきます。
配布物だけでなく、授業中に頻繁に使う定型的な指示も、日本語と4言語で書いたカードを用意しておいて、必要に応じて掲示するようにしました。
最近始めたのは、学習のふりかえりです。授業終了時に、Googleフォームに各自のスマホからQRコードでアクセスし、授業の難易度はどうだったか、新しく学べたこと、感想や要望などを記入してもらいます。もちろん多言語で用意していますし、フィードバックは母語で書いてもらってもかまいません。翻訳ツールを使って、概略は理解できるからです。
「授業がわかりやすい」というフィードバックを多くいただきますが、これは本当に励みになります。
共通語が十分に機能しなければ、多言語で行う。着想は簡単ですが、実践は容易ではありません。それでも、さまざまなツールを活用し、組み合わせることで、ひと昔前には考えられなかった授業の形が実現できるようになりました。
それにしても、日本語を学ぶ外国の方の言語環境は、本当にさまざまです。いろいろな言語が交差する、その接点に立ちながら日本語を教える。その難しさと面白さを、改めて実感しています。
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#4 生き方の選択肢を増やす
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フルタイムから、パートタイムへ。家族の都合が一番の理由でしたが、私の生活は大きく変わりました。収入を減らす代わりに、時間の使い方に裁量が持てるようにしたのです。
親しい人たちからよく聞かれたのは、「生活は大丈夫?」という至極当然の質問でした。私(と妻)が「やっていける」と判断できたのは、これまでに少しずつ作ってきた、不労所得を得る仕組みがあったからです。
今から約20年前……ライブドア、フジテレビ、村上ファンドと言えば、懐かしく感じられる方もおられるのではないでしょうか(フジは最近、再び経営の問題からメディアで言及されるようになっていますが)。すでにデフレの時代でしたから、銀行の預金ではなかなかお金は増えず、より大きなリターンを得る手段として始めたのが株式投資です。
この20年、リーマンショック、東日本大震災、イギリスのEU離脱、コロナ、ロシアによるウクライナ侵攻、そして今のトランプ関税と、暴落を引き起こすような大きな出来事がいくつもありました。
始めたばかりの頃は、評価損に心が落ち着かないこともよくありましたが、自分で銘柄を調べた上で購入し、買い持ち(バイアンドホールド)と、配当金を再投資し、可能であれば投資額を増やす、というスタイルでずっと続けてきました。
最近はかなり身近になってきたNISAも、2014年の制度開始時から利用していましたし、イデコも最初から上限額いっぱいで積み立てています。時間を味方につけて、少しずつ、しかし確実に、資産も投資額も増やしていく……パートタイムの日本語講師になる道を作ってくれたのは、こうした20年の積み重ねの結果でした。
株式投資を続けてよかったことはいくつもありますが、経済的な余裕を持てるようになったことはやはり大きいと思います。
FIREという言葉に代表されるように、「あくせく働かなくてもよい」という面が強調されがちですが、働く、働かないというそうした選択肢を含めて、自分が何をしたいのか、どう生きていきたいのか、選ぶ幅を大きく広げてくれる、ということが最大の利点なのではないかと個人的には思っています。
そしてもうひとつ。いろいろなことを、謙虚に捉えることができるようになりました。マーケットでは思いもよらない事態が頻繁に起こります。見込んだ銘柄が大きく下げる、ということも珍しくありません。
私が資産を増やすことができたのは、才能があったからというより、むしろ幸運に助けられた部分が大きかったからでしょう。リスクをとって資産を増やす、という選択を、妻が認めてくれたことも重要です。その理解なしには、今の私の生き方はあり得ませんでした。
株式投資と日本語講師。こうして並べて書くと、およそ結びつきそうもない組み合わせですが、どちらも私の生き方を豊かにしてくれました。
マーケットだけでなく、人生もまた予測不可能なものです。だからこそ、これからも謙虚に、そして身近な人への感謝を忘れずに生きていきたいと思います。
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#5 これからの日本語教育について思うこと
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登録日本語教員制度が昨年から始まりました。外国の人に向けた日本語教育に国家資格が設定されたのは、これが初めてです。
私が合格した日本語教育能力検定は、日本語教師としての一定の資質を証明するものとして長らく活用されてきましたが、こちらは民間による検定試験でした。
こう書くと、「資格がなければ、今後は外国の人に日本語を教えることができなくなるのではないか」と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、登録日本語教員資格が必要となるのは、一定の条件を満たし、国の認定を受けた日本語学校で教える場合です。
地域のボランティア活動や、私が現在勤務しているような国の認定を受けていない日本語学校はこれまでも日本語教育の一端を担ってきましたし、今後もおそらくなくなることはないでしょう。
新制度の一番の意義は、携わる人材の資質について、国家として基準を定めた点ではないかと個人的には思っています。そういう時期に来ていると国が認識した、と言い換えることができるかもしれません。
「日本語教育」とは一見、言語の習得のみを目的としているように思えます。外国の人が日本で生活を始める時、日本語は間違いなく必要ですが、言葉の背景にある文化や生活習慣、社会の仕組みについての理解も不可欠です。
例えばごみの分別のしかた、病院のかかり方、大規模災害時の行動など、私たちには当たり前のことが、日本語がわからない人にとっては簡単なことではありません。
教室の中だけでこうした題材を取り扱うのはどうしても限界がありますが、言葉を含め、日本の社会そのものを伝えることが、日本語教育には期待されているのではないかと思います。
日本で生活する外国の人が今後、増えることはあっても減ることはないでしょう。登録日本語教員制度は、国そのもののあり方が変わりつつあることを示しています。
大きな転換点を迎えている時期に、この仕事に携わるようになったことは何かの縁を感じます。変わりゆく社会の中、授業を通して、自分ができることは何か。考え続けていきたいと思います。