#76 決して言うまい禁句「其の壱」
こんにちはマキノです。
今週のコラム内容には、賛否両論が出てくるかもしれません。
もし、あなたが私のコラム内容に否定的であっても、マキノはメンタルが強くないので、批判は心の中にしまっておいてください(苦笑)。
あくまでいち個人の考えですので。
では、さっそく…
人が他人にサラッと言ってしまう言葉の中に「危険な言葉」というものがあるのをご存じですか?
それらは、けっこう誰もが無意識に言ってしまう言葉です。
また、それらの言葉を口にした本人は「それは正しいことなんだ」という認識を持っています。
実は、それらの言葉とは、、、
数年前に、娘の三者面談で学校に呼ばれた際に言われた言葉で、私が「決して他人には言うまい」と封じている言葉です。
今回はそれらをシェアします。
【目次】
1.禁句その壱
2.禁句その弐
3.禁句その参
4.禁句その四
5.結局何が言いたいか
★1.禁句その壱
あなたは、今までの人生の中で次の言葉を言われたことありませんか?
【お前1人で生きているんじゃない!】
実は、上記の言葉こそ「禁句その壱」なのです。
これを言う人は決定的に忘れていることがあります。
忘れていることとは、「他人とは共に成長し協力しあうだけの存在ではない」ということです。
なぜなら、他人はときに
・勝手に自分に介入してくる存在
・自分を支配しようとする存在
・自分を金縛り状態にする存在
・自分に危害を加えてくる存在
でもあるということなのです。
また、「お前1人で生きているんじゃない!」という言葉には、感謝や協調を強要するようなニュアンス(意味合い)が含まれていると感じてなりません。
たとえば、孤独を好む人、独りになりたい人に向かって「そんな態度じゃあ生きていけないぞ!」と諭(さと)すような感じですかね。
他にも「世の中、持ちつ持たれつしながら成り立っているんだ」というニュアンスも感じます。
また、ちょっと飛躍しすぎかもしれませんが
「今はいいけど後で後悔したり弱音を吐くなよ!」
という含みもあると感じてなりません。
私はこういう言葉を発する人の『鈍感さ』にうんざりしてしまいます。
というのも、自らを「善人である・常識人である」と無言でうったえかけてくる、その『傲慢さ』が大嫌いだからです。
また、こういうモノの言い方で人間は素直に心を開きません。
ちなみマキノは23年間教師をしてきましたが…
「お前1人で生きているんじゃない!」
と生徒に伝えても、絶対にうまくいかない言葉でした。
いや、うまくいかないどころか、反感を買われ、嫌われ、心を閉ざされる言葉ですね。
なので私は使うことをお奨めしません。
次回は「禁句その弐」です(^_-)-☆
#77 決して言うまい禁句「其の弐」
こんにちはマキノです。
昨日のコラムで気分が悪くなりませんでしたか?
もし、あなたが少しでも気分を害したなら、今週のマキノコラムはスッ飛ばしちゃってくださいね。
さて、人はどうしても「自分を認めてもらいたい」という欲求を持ってしまいます。
これは「承認欲求」といって、誰もが持つ欲求なので問題ないのですが…
中には、相手の態度や価値観を否定して、自分の価値観を押しつけて、相手を傷つけてしまう人がいます。
今回のコラムは、DVや引きこもり、いじめの原因にもなり得る「禁句その2」です。
【目次】
2.禁句その弐
3.禁句その参
4.禁句その四
5.結局何が言いたいか
★2.禁句その弐
次の禁句は、私自身が大人や学校の先生からよく言われた言葉です。
それは
【お前のためを思って言ってるんだ!】
という言葉です。
(※「良かれと思って言ってあげてるんだ」的な言葉全体です)
私はこの言葉が“むしずが走るほど”大嫌いです。
なぜなら、お前のためなんて嘘だからです。
この言葉を発する人は
・単に自分の価値観を守っているだけ
・暗に(目下に)恩を着せているだけ
・愛情を注いでいると勘違いしている
という、徹底的に『鈍感』でしかも狡い(こすい)人間性を暴露しているわけです。
こうした台詞(せりふ)は、常日ごろ、一般常識的な価値観でガチガチに縛られている人から発せられることが本当に多いです。
その人たちは
「そんな無作法な態度をしていると世間に出てからうまくいかないぞ」
「そんな自分勝手では人とぶつかる」
「今、勉強しなければ後で後悔する」
とかとか…
とにかく他人を自分の価値観にはめ込もうとします。
しかしこれは「お前のため」と諭している自分のために「相手にどうにか変わってもらいたい」と力んでいるだけです。
つまり、
・もっと世間並みになり
・世間の掟を尊重し
・その枠の中に収まって欲しい
と言いたいわけです。
そうでなければ『言っている自分』が不安で不安でしかたがない・・・
「お前のため」
という言葉の裏には、これを語る当人も気づいていない「自分の価値観を傲慢に押しつけている」という自己中心的な人間性が垣間見られます。
つまり、これを語る人は
「お前のために」
「あなたのことを思って」
と言ってあげているその相手より、人として「絶対的上位にいる」という意識です。
言い換えると
「おまえは何もわかっていない下級人間なんだから、上級人間の私が言って聴かせなければわからないだろ!だから絶対に口答えなどするんじゃない」
という自分の傲慢がダダ洩れ状態。
さらには
「本当はこんなこと言いたくない。私も辛いんだ!ただお前から憎まれてもお前のためを思ってこれだけは言っておきたいんだ」
と、ぐぢゅぐぢゅ教え諭す…
後から第三者に非難されたら
「私は全て善意から言ってあげたんだ!」
という巧妙で、一見正当性のある逃げ道を堂々と作ってケツをまくり始めるのです。
実は「お前のことを思って」って言葉は…
DV(ドメスティックバイオレンス)をする人や、引きこもりの子どもの親から出てくる言葉の中で、もっとも多い言葉なんですね。
つまり、人の自己防衛の醜さ、そいつの根性の薄汚さが露呈していることにまったく気づかず、知らない間に愛する人を傷つけてしまうのです。
私はいつも気をつけています(^_-)-☆
#78 決して言うまい禁句「その参」
こんにちはマキノです。
今週は禁句言葉の紹介と、解説的なものを紹介させてもらっています。
実は、私自身の「実体験」にかなり基づいた内容です。
今回の禁句は・・・
主に、人が集まる「職場」「学校」などで使われてしまうことが多い禁句です。
特に、店長さんやリーダーさん、責任者さんといった立場の人はお気をつけて!
【目次】
3.禁句その参
4.禁句その四
5.結局何が言いたいか
★3.禁句その参
あるお店で、店長さんが一人のスタッフに注意をしたところ、そのスタッフがイジけた態度をとってしまいました。
すると、店長さんはそのスタッフにちょっとキツめにこう言ったのです…
【みんなが嫌な気分になるぞ!】
これもお馴染みのお説教ですよね。
で、この「みんなが嫌な気分になるぞ」が「禁句その参」なのです。
こう言ってしまう人は
・自分が嫌な気分になること
・他人を嫌な気分にさせること
を、何よりも恐れています。
たとえば、上記のようなケースの場合は、店長さんはスタッフみんなに気持よく働いてほしいからこそ注意したのだと思います。
しかし、優しく注意したつもりだったのに、いきなりイジけられたので、他のスタッフもいる前で「そんな態度を見せるとみんなが嫌な気分になるぞ」と言ったのでしょうね。
でも、果たして本当に他のスタッフたちは、一人のスタッフのイジけた態度を見て嫌な気分になるのでしょうか?
それ以前に、なぜ注意されたスタッフはイジけたのでしょう。
もしかしたら、店長さんの注意が適切じゃなかったかもしれません。
そして、他のスタッフたちも
「店長のあの注意はちょっとおかしいよな」
「彼はちゃんとやろうとしていたよな」
「やる前に注意されちゃったら自分だってイジけちゃうよ」
なんて感じていたときに
「そんな態度を見せるとみんなが嫌な気分になるぞ」
と厳しくみんなの前で言ったとしたら…
これってイジけたスタッフのせいではなく、店長さんの理不尽な注意こそが「みんなを嫌な気分にさせる一番の原因」となり得るわけです。
そんなことに気づかず
「せっかくみんないい気分で働いていたのにお前のせいでぶち壊しだ」
と。
これって、単に店長さんの勝手な感情を
「みんなの気持ちなんだぞ」
とすり替えたわけですよね。
この「すり替え」が天才的になればなる程「嫌われリーダー」にどんどん近づいていき、優秀なスタッフの離脱に繫がるのかもしれません。
もちろん、店長さんだって人間だから間違って注意しちゃうこともあるでしょう。
そんなときは、イジけたスタッフをバックヤードとかに呼んで
「どうしてあんな態度をとったんだ」
と、冷静に聴いてあげ、ちゃんとスタッフが理由を言ったら
「そうか、自分が早とちりして悪かった」
と謝って、あとでみんなに説明すれば、逆に店長さんの株はあがるでしょう。
実は、「みんなが嫌な気分になるぞ!」と注意する人は、ほとんどが「自分が嫌な気分になりたくないと」潜在的に思っています。
でも、そんな思いを口にしてしまうとエゴ丸出しの自己中野郎じゃないですか。
だから、さも「これはみんなの気持ちだ」とすり替えて自己満足しようとする…
ただの自己満野郎ですね(^_-)-☆
#79 決して言うまい禁句「その四」
こんにちはマキノです。
私は高校生だったころ、自分の将来について悩んでいました。
というのも「オレはどんなことが好きで、どんな事をしていきたいかがよくわかんねえ」と毎日のように思っていたからです。
あなたはどうでしたか?
その後、大学に進学し体育の教師を目指したのですが、正直、「情熱」であるとか「やりたくて仕方ない」という気持ちはなく、「比較的得意だった体育を活かせられるかなぁ」というくらいの気持ちで就職したのです。
そんなとき、テレビ番組でどこかの評論家が言っていた言葉が「禁句その四」です。
【目次】
4.禁句その四
5.結局何が言いたいか
★4.禁句その四
学生時代、私が自分の進路で悩んでいたときに何かのテレビ番組で聞いたのが
【自分の好きなことは必ずあるはず】
という言葉です。
これは無責任な教師や評論家が口から出まかせに言う言葉であり、ハッキリ言って『大嘘をつかせる言葉』です。
「人は誰も必ず何か好きなことが一つはあるはず」
確かに、好きなことが何一つないという人は少ないでしょう。
しかし、「自分の好きなことは必ずあるはず」と言われて『本音』をさらけ出せるでしょうか?
というのは
「あなたの好きなことって何?」
と問う質問は、本音を言わせないで『大嘘』をつかせる究極の質問だからです。
例えば、私の好きなことが
・万引き
・いじめ
・痴漢
だったらどうでしょう?
その人が求める答えはこんな答えではいけないのです。
だから、こういう人の言葉への答えは
・社会的に評価されること
・できれば職業と結びつくこと
・世のため人のためになること
こうでなければならないのです。
「自分が好きなこと」を問う質問には、自由に答えたくても、実は、答えがきわめて制限されていて、無理やり優等生に仕立て上げるための強要でしかありません。
その人の好きなことなのに何でもいいというわけにはいかないのです。
「自分が好きなこと」を問う質問をする人は、こういう舞台裏事情がとてもあざといのですが…
そう認めないところが超・狡い(こすい)と感じます。
だからこそ、「自分の好きなことは必ずあるはず」と決めつけたりする言葉は禁句にしてしまいませんか。
その代わり
「心から好きだ、本気でやってみたいと前向きに思えることがいつか見つかるといいね」
という類の言葉かけをして、相手の「前向きな面」「正義感」「向上心」を信じてあげればいいと思います。
とくに「親」から「子」に対しての言葉掛けの際、参考にしてください。
ちなみに、私自身が「教師は向いてないし、本当にやりたいことじゃなかった」と気づいたのは40歳ごろでした。
「自分の好きなことは必ずあるはず」
この言葉を信じていたら、ずっと悩み続け、好きなことを見つけられない自分に自信を失っていたでしょう。
今回のコラムは、かなり私自身寄りの内容でした。
ということで
「信じるも信じないもあなた次第です」
ナンチャッテ(^_-)-☆
#80 「4つの禁句」から伝えたかったこと
こんにちはマキノです。
今回はオッサンのお節介のようなコラムになってしまいましたが、いかがだったでしょうか。
もちろん、私の主張を鵜呑みにしなくても結構ですし、「自分には自分の考え方があるんだ」と思われているなら、それも十分に「有り」だと思います。
では、マキノは結局何が言いたかったかをお伝えして、今年の〆とさせていただきます。
【目次】
5.結局何が言いたいか
★5.結局何が言いたいか
今週のコラムは「禁句」についてお伝えしてきました。
なぜなら、今の世の中は感染症でひっかきまわされ、元気にしていてもどこかに「不安」を抱えている人が増えたからです。
自分でも気づかないその「不安」は、つい、自分中心の言動を生んでしまいます。
すると、そんなつもりがなくても身近な相手を傷つけてしまったりして、いつのまにか人が離れてしまうかもしれません。
ようは、人間関係のストレスが大きくなり、気持ちが病み、その場から逃避したくなるという「自己防衛反応」が出てくるわけです。
だからこそ、「言葉かけには気をつけましょう」というような曖昧な注意喚起ではなく、より具体的な「言葉」をお伝えしたわけです。
で、私が何を言いたかったかですが…
・・・正直よくわかりません。
よくわからないのですが、この一年、何となくムシャクシャしていました。
このムシャクシャの原因は、多分「自分の価値観は正しい」と思い、それだけに捉われている人たちがあまりに多かったことを(新型コロナ禍によって)思い知らされたからでしょう。
たとえば…
「人の気持ちを考えましょう」という極々あたりまえのことの「受け止め方」と「体現の仕方」が、私の予想以上に「千差万別」だったことがわかり、かなり愕然としたことが今年は何度もありました。
自分の主張や価値観ゴリゴリの人が多い欧米人や中国人なら「やっぱりな」と受け止められるのですが、、
・人の気持ちを察することができる
・以心伝心という文化を持っている
・おもてなしやお裾わけができる
こんなエスパー(超感覚的能力人)のような離れ技ができる日本人でさえ、かなり「自分の価値観」に縛り付けられていたってわけです。
具体例を言うと、ちょっと弊害が出そうなので避けますが…
あえていうなら
自分の価値観はちゃんと持っていて、なおかつ、相手の価値観を否定しないで受け止めてあげられる人が思いのほか少なかったことに愕然としたわけです。
中でも、今週ご紹介した例は
「私は相手や周囲の人たちのためを思っている」
と甚だしく勘違いされている方の例です。
私の例なのですが…
11年前、起業すると両親に報告したとき「心配だよ」と言われてしまいました。
私は「ウソでもいいから『心配だ』じゃなくて『お前なら大丈夫』と言ってほしい」とお願いまでしたのですが、結局「お前なら大丈夫」という言葉はもらえなかったのです。
情けない話ですが「オレは親に信じてもらえてなかったんだな」と感じ、涙が出てきてしまいました。
「いくつになっても子どものことを心配するのが親だろ」
という意見もあるとは思います。
あるとは思いますが、私は(幼いころなら心配することもあるだろうけど)本来親は子供を信じてあげるのが務めではないかと思います。
私は、この日を境に両親に自分のことを話すのを一切やめてしまいました。
その後「こんな経験はいつか忘れるよ」と軽く思っていこうとしたのですが…
10年以上経っても、忘れられない「傷」となって心には残っています。
だからこそ、今年の最後にこんなことをお伝えしてしまったのかもです。
長々お読みくださり、ありがとうございました。
良いお年をお迎えください。