3/4〜3/8のコラムは…
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◇3月ゲストコラム◇
『便利屋』の裏側に迫る‼️
石走賢一@便利屋
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まずは
石走さんの経歴をご紹介✨
🌋鹿児島県肝属郡南大隅町で
生まれる
♨️中学生の時父の仕事の関係で
霧島市へ引越し
🏫高校、
リハビリ専門学校を卒業
🏥卒業後民間企業を経て
大学病院へ就職
→2022年に12年間勤務した
大学病院を退職
💡霧島町で『便利屋』として
KJライフワークスを起業
現在は
◉博悠会温泉病院非常勤
◉三島村介護支援事業非常勤
を兼務しながら日々奮闘中🔥
と、リハビリ専門職として17年もの間、病院で勤務後
『便利屋』として事業展開を進めている石走さん。
これまでの様々な経験を生かし、近年の社会問題や地域課題にも深く関わる事業内容であり、地域での講演会等も行われています✨
皆さんは『便利屋』と聞いて
何をイメージしますか?
今回は
石走さんが『便利屋』として事業を始めるに至った経緯や事業内容、今後の展開など
気になる『便利屋』の裏側を
コラムにしていただきました✨
学びと気づき盛りだくさんで
皆さんの事業に活かせるポイントも👀
初回配信は本日19時✨
お楽しみに😊
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#1 便利屋を始めた経緯は…
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皆さんこんにちは。
KJライフワークス代表の
石走賢一(いしばしりけんいち)
です。
職業は便利屋として早2年目を迎え、日々仕事に取り組んでいます。
さて、私が便利屋という職業についた経緯についてお話します。
学校卒業後、リハビリテーション専門職として病院等に17年従事していました。
その中で患者さんの声や地域での声をずっと聞いてきて、
①地元で地域密着型の施設を作りたい
②独立して整体院をしたい
③色々な人の役にたちたい
そんな大まかな感覚を持っていました。
地元中核病院で自己研鑽し、コロナ禍を経て自身も心身共に疲弊したことがきっかけで、休職。
一年後に退職するまで休みながら色々な事を考えておりました。
私、作業療法士という専門家として出来ることは、
地域活性化のため、
①少子高齢化に対する対策
②障害児、障害者に対する支援
③共生できる環境作り
④高齢者への支援
を考えました。
現在当社の事業としては、
①空き家の再生、片付け業
②草刈り、伐採業
③ほぐし、整体
④便利屋として付帯する事業
をしております。
空き家の問題は法令も昨年末改正され、今後も喫緊の課題になります。
相続問題や放置することによる近隣への影響もあり、
これよりさらに少子高齢化が進み労働人口も減少する2045年までに様々な対策が必要です。
当社としてこれらの問題に焦点をあて、
空き家を使った
①療育、放課後デイサービスでの利用
②障害サービスでの利用
③就労支援、障害者就労での利用
④高齢者や移住者、小児など様々な方々が地域で集える居場所の創生
を考えています。
結婚している、結婚していないに問わず、多様化が進んでいる現代で、働き方、過ごし方も多種多様です。
地域の環境を生かし、共生できる環境作りの一環として、
まず【衣食住】を考えました。
◼︎衣の提案
→当方、古物商取引許可取得しています。古き良き物を大切に使い、次世代に伝えていくこと。
リペアし、SDGzな環境活用にも対応していくことを目指し取り組んでいます。
◼︎食の提案
→農業を通じて自然と触れ合い、有機作物、自家栽培での地産地消を目指す。
障害サービスの中で仕事して農業、サービスなども取り入れるべく、地元企業様とお話をしています。
◼︎住む場所の提案
→賃金が上がらない現状で、空き家は増えている。
自身でコストを抑え、DIYしながら自分の居場所づくりをして頂く「空き家」を有効活用することで、移住者支援を行い、地元を盛り上げるきっかけ作りや共同で行える商工会の若い方々との交流を図っていきたいと思っております。
上記を通じて、今取り行っている便利屋から仕事の幅を拡大していくことで、選択的、専門的に障害者も高齢者も労働人口としてやりがいを持ち、生活にもメリハリを持ちながら、産まれてから亡くなるまでの一貫したサポートが出来る会社作りをしたいと言う目標に向かっているところです。
では2日目に続きます。
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#2『便利屋』とは?
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2日目になりました。
KJライフワークス
石走賢一です。
早速ですが、
皆様の便利屋のイメージは如何なものでしょうか??
私も始める前は、
①買い物の代行
②電球の交換
③ハウスクリーニング
④草刈り
⑤生活の中のお困り事の解決
そんな感じかなといったイメージでした。
私自身、実際に便利屋と名乗っていますが、実は仕事の枠はありません。
有資格での仕事(電気工事やホテルの管理、土木など)は実際に起業してから必要な資格を可能な範囲で取得しています。
今後も毎日が日々勉強なので、出来ることは自分で取り組み、還元していけるように努力しています。
元々、産まれてから亡くなるまでの一貫した施設作り、特に障害者支援、就労支援という事を一番の主軸に考えております。
障害を持っていても出来ること、その方のストレングス(強み)を生かしたその方らしい生活を支援したいという気持ちから始めた便利屋という仕事。
一番は作業療法士として、国からは生活動作や仕事のリハビリの専門職として位置付けられている関係もあり、色々な仕事を実際に自身で経験して、障害者の方々にあった仕事(作業)を提供し、自信をつけて、自立した生活を過ごしてもらう、楽しみを分かち合う、地域で共生することが最終的な目標です。
今の仕事の幅として農業、林業、片付け業、仕分け、物販、地域の介護予防教室、リフォーム、建具の修理、家具作成、リペア業、本当に多種多様な仕事を経験させて頂いております。
協力業者様も少しずつ増えてきております。
結論として、便利屋とは型枠がなく、すごく幅広い職業ですが、軸がしっかりしていれば、肉付けをしながら、それぞれの専門員を一緒に話ながら作り上げ、自分1人だけではなく皆さんの力も借りながら一緒に夢に向かって進めて行ければと考えています。
今まで道半ばでやや苦しい時期もありましたが、やはり常に意識しているのは人に対する『傾聴の姿勢』と『感謝の気持ち』です。
「痒いところにも手が届く」
そんな関わり方をリハビリ職時代からしていた経験が今も役に立っている、そんな現状です。
皆さんの周りにもそんな方がおられますでしょうか?
きっとコラムをご覧の個人事業主の皆様が地域の主体で皆さんに元気や優しさを届けていることで、良い環境及び雰囲気が流れているかと思います。
病は気から、仕事に関しても言葉に出して夢を語ることからだと思っております。
次は3日目になります。
皆様のお付き合いに感謝です。
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#3 便利屋と地域での関わり
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皆様のおかげで、
3日目のコラムとなりました。
今回は
「便利屋と地域での関わり」
についてお伝えしたいと思います。
起業したのは令和4年12月12日でした。
初めて自宅兼事務所に看板を掲げたのが令和5年9月1日でした。
初めての営業(チラシ配り)が令和5年の年末でした。
おかげさまで、営業活動はほとんどしていませんが、地域柄なのか、口コミでのお問い合わせや、近隣からの紹介、ネットでの物販取引相手からのビジネスパートナー化など…
様々な地域の特性もあるかと思いますが、やはりビジネスをしている以上は『人との関わり』が非常に大切だと感じております。
問い合わせがあった方への労いの言葉や傾聴の姿勢、共感、レスポンスの良さ(今日出来ることは今日行う)など、自分の可能な範囲で取り組みを行った結果、1度取引や話で関わった方が他の方へ紹介してくださったり、名刺を渡した方が別な方に名刺を渡して下さり、渡してくれたら他の方にも是非とも紹介したいと、多方面への関係の拡大や心遣いを受けることがあり、非常に感謝していることが多いです。
私の住んでいる地域は子供が少なく、高齢者の多い地域で過疎化も進んでおります。
やはり我々若者世代が地域を盛り上げるために何が出来るか、それぞれの専門性や地域との関わりをコロナ禍があけた今出来ることを予測して行動しております。
皆さん「出る杭は打たれる」という言葉もありますが、人は『心遣い、感謝の気持ち』が大切です。
時には冷たくあしらわれる事もあります。
自分に余裕がなければ傷つき、モチベーションも下がります。
自分自身休職し、自分を見つめ直した経験が今に活きているのかと感じます。
時には他の有名な方の参考書も拝読し、参考にはしておりますが、最終的には『自分の決断』です。
地域共生の心でもっと地域で団結しながら事業を勧めて参りたいと思います。
時間やタイミングは有限です。
「思い立ったら行動」はすごく利にかなう事かと考えています。
間違いはないです。
皆さん初めは初心者です。
教えてもらい感謝、
出来るようになり感謝、
自分が大きくなることはその方々が経験させてくれた宝です。
恩を仇で返すことだけはないように、謙虚な姿勢で、自分の休みも調整して、余裕がある心身作りもテーマです。
残りあと2テーマです。
最後までお付き合い頂けると幸いです。
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#4 便利屋と行政との関わり
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早いもので、
4日目のコラムとなりました。
昨年11月
地域の市役所にて
KJライフワークスの紹介として
市役所職員様、地域の児童委員、民生委員様向け約20名に講演会を開催させて頂きました。
このご縁は自身の子供の保育園保護者様に、民生委員関係者がおられたこともあり、偶然私も児童発達関連、障害者支援施設の相談を当保育園にしていたことがマッチングして、是非とも地域に会社をまず知ってもらうことで、小学校や中学校、市役所職員、出来れば教育委員会まで話したい旨をお伝えし、まずは市役所職員、民生委員関係者様からということで、講演会の機会を頂きました。
やはり地域での課題として、少子高齢化、空き家問題、移住者支援は喫緊の課題であるため、興味関心は高く、認識を持って頂けた印象でした。
空き家の仕事もこのご縁による紹介もあり、地域での介護予防教室の開催などご配慮も頂き、また今後の事業展開に繋がる手応えを感じています。
講演会については定期的な開催や、更に市議会議員様、県議会議員様などへもアプローチして、地域全体での課題として取り組んでいく一助が出来るように、今後も引き続き講演会の日程調整やアプローチが出来る場に参加して気持ちをお伝えしていきたいと考えています。
やはり市議会、県議会となると忙しい方々ですので、現時点ではアポイントが難しく、多方面でのコネクションを作りながら機会を伺っているところです。
最近
「人脈作りはどうしてる?」
「どうして色々な人と知り合いになれるの?」
と聞かれることが多いです。
行動力は確かにあるかもしれません。
自分から発信も多少しております。
声をかけてきた代表者様に
「どうして声をかけて貰えたのですか?」と聞くと、
①看板が気になったから
②凄く頑張ってる人がいると聞いたから
③興味がでる事務所や外観だったから
④別の社長に声をかけられたから
⑤地域で噂になってたから
など、色々な声を聞きました。
やはり口コミや色々な方々との繋がりが今の自分を支えてくれていると感じております。
日々その関係者様方に感謝しながら、今後も事業計画に沿って進めていきたいと思います。
さて次回が最後のコラムになります。
最後まで宜しくお願いします。
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#5 今後の展開は…
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早いもので、最後のコラムになりました。
KJライフワークスの
今後の展開としては
一番最初のコラムでも書きましたが、
『今住んでいる地域で
産まれてから亡くなるまで、
健常者も障害者も分け隔てなく地域で共生していける社会作り』を目標にしています。
デジタル化も進み、高齢者問題、温暖化、SDGs、少子化、空き家問題などは全世界での問題ですが、未来に向けて、今を生きている自分達が出来ることは、
「後世のための住みやすく、過ごしやすい環境作り」かと考えております。
今の仕事も10年後にはAIに代替しているかもしれないものも多く、便利になる反面、不安も多い時代。
そんな後世を生きる子供達が安心して暮らすために自分は何が出来るかと考えると、
やはり原点に戻り、人との交流や感謝の気持ち、共生の環境作りかと考えています。
ヨーロッパ諸国のように、老後も安心して過ごせるような福利厚生は、この国ではもう自分自身の責任に置き換わりつつあります。
政治家も頑張られてますが、人が人を信用できないと、治安問題や、戦争など一番望んでない結果になります。
便利さが生む弊害かと思いますが、小さい頃はスマホがなくても本を読む、トランプで遊ぶなど、様々な経験が今の自分を創っています。
今の子供達は凄く裕福だと言われますが、私は逆に「経験」が奪われているように感じます。
意見は様々ですが、体罰やハラスメント、いじめ問題、社会問題は後をたたず、テレビでもそのような話題しかありません。
楽しかったテレビも、インスタグラムやTikTok、YouTube、Facebookなどに置き換わってます。
時代は常に変わり、来年はどうなっているかわからない時代だからこそ、原点回帰して、色々な経験を積み、今からの時代を生き残るための術をつけるべき次世代の子供達の学ぶ環境や障害者の働く環境整備も急務かと思います。
衣食住は基本的な欲求です。
まずはインフラや働ける環境、住まいを提案、提供し、自分や地域での活動を通じて、今後の展開を経時的に修正しながら進めていきたいと考えております。
長くなりました。
最後までコラムにお付き合い頂き感謝致します。
皆様の事業がより良く発展し、皆様が真に豊かになることを願っております。
この度はこのような機会を与えて下さりありがとうございました。
KJライフワークス
代表 石走 賢一